文:野村和寿
MQAハイレゾはずっと前に録音された音楽さえも今に生き生きとした表情で浮かび上がらせる。レコード音楽という新たなジャンルを切り開いた帝王と呼ばれた男、カラヤンの壮年期の10曲を聴いてみたい。
カラヤン!カラヤン!カラヤン!~ハイレゾ・ベスト Selected by 名曲喫茶 月草~
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
フィルハーモニア管弦楽団
録音時期:1955年7月〜1972年9月
レーベル名 ワーナー・クラシックス
レコード会社 ワーナー・ミュージック・ジャパン
ハイレゾ提供 e-onkyo music
ファイル形式:MQA Studio 96kHz/24bit
価格:1,234 円(税込価格) 現在配信されておりません。
*価格は変動することがあります。
ベルリン郊外、緑豊かな公園の森に囲まれた中に、プロテスタントの教会グリューネヴァルト教会は聳えるように建っている。1902年の創建、第2次世界大戦時連合軍の爆撃に遭うも、1956−59年に修復、遠くからも見えてくる塔の高さは50メートル、間口25メートル、奥行き40メートルの750名の礼拝ができるという大きな教会である。祭壇のところに、お決まりのグレーのタートルネック姿の指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908−1989年)が立ち、いつもは参列者の座る所にオーケストラのメンバーが居並んで、イギリスのレコード会社EMIがベルリン・フィルを擁して録音した時期があった。
カラヤンの当時の録音セッションを写真で見る限り、天井までの高さは相当に高く、教会の響きは豊かそのものだ。
祭壇に布の幕を張り巡らして遮音を施した前で、40−50代、壮年を迎えていたカラヤンは1957年から60年にかけて、レコードへの録音に挑戦していた。
1963年に今のベルリン・フィルの本拠地であるベルリン・フィルハーモニーが完成する前のこと。ベルリン・フィルは、第2次世界大戦前から定期演奏会に使っていた旧ベルリン・フィルハーモニーを、1944年、連合軍のベルリン大空襲で失い、戦後は、映画館として使われていたベルリンのティタニア・パラストで定期演奏会を催していた。そしてイギリスEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグ(1906〜1979年)の統率の下、この響きの豊かなグリューネヴァルト教会で、数々の名録音をものにすることになる。
1954年巨匠フルトヴェングラーの死去の後、主を失ったベルリン・フィルは音楽監督にカラヤンに白羽の矢を立てることになる。カラヤンが指揮するベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代のメンバーがまだ多数在籍していたが、徐々にカラヤンは自分の色を出し始めた。
コンサートマスターにポーランド出身のミシェル・シュワルベ(1919〜2012年)を擁し、ヴィオラ奏者には日本人初のベルリン・フィル団員となった土屋邦雄氏(1933年〜)が入団と、ベルリン・フィルは国際色豊かになっていった。
めざす音も随分と変化をみせている。フルトヴェングラーのタクトの下、ロマン的な音楽の揺れを発揮していた頃に比べ、より、華麗に、より美しく、繊細でしかもダイナミックな音が、次のベルリン・フィルの音になった。
カラヤンのオーケストラへの姿勢は、現在のオーケストラの演奏とは大いに異なる。現在のオーケストラでは、作曲者の時代にもどって作曲により忠実であれと、なるだけシンプルさを大事にするが、カラヤンは50−75名の現在よりも大人数のオーケストラを従えたゴージャスなサウンドであった。
壮年の頃のカラヤンは、どちらかというと、一気呵成に大編成のオーケストラをドライブして、颯爽と駆け抜けていくのが得意だった。
レコードで聴いたときの爽快感を聴き手が感じる音、ここでは、本アルバム10曲のうち、なんと9曲が1955年から60年の、カラヤンとプロデューサー ウォルター・レッグのコンビによる名録音の数々なのである。
時は33 1/3回転のアナログLPの登場、そしてステレオ化が始まり、家庭でリラックスして聴くことのできる音楽を、聴衆は渇望していたことである。
録音という作業は、実は聴衆の前での演奏を繰り広げる演奏会に比べても、指揮者、ともに大いに神経をすり減らし気を遣う。何しろ、聴き手が目の前にいないのだから、演奏者のモチベーションをどこで演奏の頂点を作るかを推し量ることが難しい。私はあるレコーディング・プロデューサーから聞いたことだが、「人間の集中力は、煎じ詰めれば、1分半が限度」といわれるくらいなのだそうだ。そこで、演奏会とは異なり、細かく演奏ミスをチェックしながら、モザイクのピースをはめていくように、レコードを作っていくという地道な作業の繰り返しなのである。
プロデューサーのウォルター・レッグはといえば、聴き手がどんなクラシック音楽を欲しているかをよく考えていた。交響曲のような1曲だけでも、長いひとつながりでなく、演奏時間が10分前後の軽めの曲が、聴衆の目指すクラシック音楽だったのである。そこで、聴けばわずかな時間で幸せになれる音楽のために、また何度聴いても、気持ちよくなるレコード作りのために、聴き手のいない教会堂で、カラヤンは、自分の音楽を後世に残すべく、静かに音楽への執念をみせていたのだった。
たとえば6トラック目に収録の、スメタナの「モルダウ」は、チェコを流れる川ヴァルタヴァ(ドイツ名モルダウ)川の流れを、音楽で描写したもので、牧草地や森林のなかを川の流れは進み、沿岸での農夫の結婚式の様子や月の光の下での妖精、などを音楽で描いていることが聴き手にもわかり、急流が渦を巻き大河となって流れるさまがわかる。
この録音がなされた50−60年代、日本には独特の音楽の聴き方が生まれていた。「名曲喫茶の誕生」だった。当時の若者たちは、とても当時の電蓄、後にはステレオと呼ばれる現在のオーディオ・セットを購入できる余裕はまだなかったので、名曲喫茶で、1杯の珈琲を注文し、自分の聴きたいレコードをリクエストして、名曲喫茶のハイファイ装置から流れるクラシックに耳を傾けていた。
東京の西部、新宿からJR中央線で約50分、国立駅を降りてすぐの商店街に、「名曲喫茶・月草」がある。実は本アルバムは、その「名曲喫茶・月草」のご主人堀内愛月さんが、数あるカラヤンのアルバムから選りすぐった曲なのである。
ご主人は「ずいぶんと選曲には時間をかけました。曲の順番についてもこだわっているんです」と話してくれた。
名曲を聴くという当時の名曲喫茶の姿を、今に想像してみてほしい。自分の家にはない音楽ルームに、列車の一等車のような、白い清潔なカバーの掛かったシートに陣取り、香しい珈琲をじっくりいただきながら。そんなときに、ふさわしい、大編成のとびきり上手なベルリン・フィルがカラヤンの指揮の下で、縦横無尽に動き回る。親しみの沸くような小ぶりの佳曲10曲が用意されている。(曲目紹介に続く)
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