文:野村和寿
12月の声を聞くと、クラシック・ファンならずとも「第九」を聴きたくなる。2018年12月だけで、日本中でどのくらい「第九」の演奏会が催されているかをちょっと調べてみたところ、アマチュア、プロの楽団を合わせて155回も催されていることがわかった。(クラシック音楽情報誌 ぶらあぽ 2018年12月号 12月の公演情報より)
もちろん生のソリスト、合唱団、オーケストラで「第九「を聴く醍醐味は、一入(ひとしお)であり、まさに、1年を締めくくるコンサートにふさわしい。特に日本では、1年の総決算として、1年を振り返りつつ、静かに年を越し、また新しい年を迎えようという日本古来の習慣と合致したからなのだろう。
フルトヴェングラーの「第九」
ベートーヴェン:交響曲第九番 作品125「合唱」
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団/ソリスト エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、エリーザベト・ヘンゲン(アルト)、ハンス・ホップ(テノール)、オットー・エーデルマン(バス)/合唱:バイロイト祝祭合唱団 1951年7月29日 バイロイト祝祭劇場ライブ録音
ワーナークラシック・ジャパン MQAハイレゾ化
MQA Studio 96kHz/24bit
ハイレゾ提供 e-onkyo music
http://www.e-onkyo.com/music/album/wnr190295870645/
¥2,200(税込価格)
◎実際の販売価格は変動することがあります。価格は税込価格(消費税10%)です。
※本アルバムは、ハイレゾCD(MQA-CD)としても発売されました。
¥3,000+税/WPCS-28420
「第九」を聴くとき、昔から避けて通ることが難しい大変な名演奏がある。幸運にも、旧英国EMI(現ワーナーミュージック・ジャパン)のe-onkyoからMQAハイレゾでリリースされている。それは、かの伝説の巨匠 ウィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮した「バイロイトの第九」と呼ばれる音源である。
「第九」とは文字通りベートーヴェン(1770〜1827年)が作曲した第九番目の交響曲である。この「交響曲第九番」は、1824年、ベートーヴェン53歳のときに作曲、初演されていて、合唱付きなので、「合唱」あるいは「歓喜」、「歓喜に寄す」という副題がつけられている。 新しさに満ちた「第九番」では、オーケストラという楽器だけにとどまらず、2人ずつの男声、女声歌手と、男声、女声の合唱団が、人類の「歓喜」を高らかに歌い上げる世界で初めての合唱付き交響曲を完成させている。
「第九」が年末に演奏されるようになったのは、元々は、世界最古のオーケストラといわれるドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、アルトゥール・ニキシュの指揮により100人のオーケストラと300人の合唱団とで、1918年12月31日に「第九」を演奏したのが始まりとされている。
1989年ベルリンの壁が崩壊した記念にも、指揮者レナード・バーンスタインが、世界中のオーケストラ・メンバーを集合させてオーケストラを結成し、「歓喜」を「自由」という言葉に置き換えて記念すべき「第九」の演奏をしたことでも知られ、ドイツのベルリン国立図書館に所蔵しているベートーヴェンの「第九」の自筆譜面は、2001年に世界記憶遺産にも選定されている。
フルトヴェングラーの「バイロイトの第九」について説明することにしよう。
「第九」は、先ほど述べた通り、ヨーロッパから遠く離れた東の国わが日本では、年末によく演奏されるが、ベートーヴェンの故郷であるドイツでは、あまり演奏されることが多くない。それは、「第九」を特別の大事な曲とドイツの人々が感じているからに他ならず、これという特別な時に、第九は演奏されることになっている。
本「第九」は、第二次世界大戦がドイツの敗戦という形で終結し、ようやく、戦後の復興に立ち上がろうとしていた戦争から6年が経った1951年夏、再開なったドイツ・バイエルン州バイロイトにおけるバイロイト音楽祭復活第1回で、演奏されたきわめて記念碑的な演奏なのである。
バイロイトは、作曲家ワーグナーの聖地とされ、パトロンだったルートヴィッヒ2世が、ワーグナーのために、ワーグナーのオペラ(楽劇)だけを演奏する木造の劇場を建立した。それがバイロイト祝祭劇場であり、ワーグナーは1876年その開場の記念に、ワーグナー自身が指揮をして、ベートーヴェンの「第九交響曲」を演奏したのだった。それから、このバイロイト祝祭劇場は、夏の間だけ、ワーグナーのオペラ(楽劇)のみを上演する劇場となって今日に至っていて、ほかに演奏されるのは、ベートーヴェンの「第九交響曲」のみという厳格さが、今だに貫かれている。
1951年7月29日その日はやってきた。バイロイト祝祭管弦楽団というのは、毎年、バイロイト音楽祭のためにドイツ・オーストリアじゅうから集められた名演奏家によって集められた特別の管弦楽団。
特に1950年代は、ウィーン・フィルハーモニーのメンバーが主体になって演奏をしたという記録もある。バイロイト祝祭劇場は、舞台の真下が、オーケストラが、ワーグナーのオペラ(楽劇)を演奏するときのオーケストラ・ピットとなっていて、客席からは、オーケストラは見えない。
舞台の上演に聴衆を集中させる工夫が施され、オーケストラ・ピットからの音はちょうど、スピーカーのバック・ローデッドホーンのように、舞台上の開口部から、舞台上の歌手の歌声と混ざり合い、聴衆へと拡散される仕組みとなっている。このフルトヴェングラーの第九演奏のときは、きわめて、例外的に、オーケストラが、通常オペラ(楽劇)を上演する舞台上に居並んで、演奏を繰り広げたことが想像できる。
バイロイト祝祭劇場は、今からほんの10年ほど前まで空調装置もなく、休憩時間に、劇場のドアを開け放ち、夏の暑い空気を換気した。通常客席には、どの劇場でも、真ん中に通路があるものだが、この劇場だけは、通路も設けられておらず、客席はつながっている。これは今でもそうだ。つまり、いったん、バイロイト祝祭劇場のなかにお客が入り、ドアが閉められるや、あたかも、スピーカーのなかにでもいるような密閉された空間で、音楽とともにまさに対峙したのだった。
この時、フルトヴェングラーは65歳。第二次世界大戦中も、ドイツの音楽を守る為に孤軍奮闘し、ドイツに踏みとどまって、多くのユダヤ人演奏家を助け、ベルリン・フィルを守った。その事実は、ドイツの聴衆の誰もが知っていて、フルトヴェングラーは、まさに神のような存在であった。閉じられたバイロイト祝祭劇場で、普通とは何かが違う演奏はこうして始まる。
本演奏は、演奏に入る前の、フルトヴェングラーの足早に登壇してくる音、盛大な聴衆の拍手、そして、オーケストラに、二言三言、語りかけるフルトヴェングラー自身の声まで入っている。そして、おもむろに第1楽章が始まる。
冒頭、第1楽章は、霧の切れ目から太陽がのぞくところ、雲海の中に一筋の光明を見いだすように始まる。カオス(混沌)から一筋の光明が弦楽器によって弦を引っ張るように鳴り始め、こちらへと向かって近づいてくる。第1楽章の14分23秒から第1楽章の終わりに向かい激しさをみせる部分。フルトヴェングラーの変幻自在の指揮ぶりが目に浮かぶようだ。オーケストラのテンポは、どんどん前へ前へと付き進み揺るがない推進力へと変貌と遂げていく。
第2楽章 弦楽器の短い強奏とティンパニのアタックとともに始まる第2楽章も冒頭から聴きどころだ。ティンパニの強烈なアタックは「ティンパニ!」と叫んでいるようにも聴こえる。リズムの粒立ちが激しく波打ち、聴く者に、突き刺さってくるようだ。遠くからはホルンが、オーボエがいななき、しまいには豪壮に優雅に弦楽器が奏で始める。再び、ティンパニが叫び、オーケストラはたたみかけるように、最後に向かって激しく音量を上げていく。しまいには、ティンパニは連打を続け、聴こえてくる様は、まさにリズムのほとばしりがスリリングだ。
第3楽章の始まる前に、合唱団とソリストたちが入場したらしい。ソプラノのエリーザベト・シュヴァルツコップ、アルトのエリーザベト・ヘンゲン、テノールのハンス・ポップ、バスのオットー・エーデルマンなど、ワーグナーのオペラ(楽劇)の舞台で活躍していた名歌手たちを集め、合唱団はバイロイト祝祭合唱団を起用。
第3楽章 美しいメロディー満載の第3楽章は、バイオリンの奏でるメロディーは、とつとつと心に迫る雄弁なもので、まさに「天上の音楽」のように清らかで伸びがあり希望を感じることができる。クラリネット、フルート、オーボエ、そしてまたクラリネット、ホルンと楽器が切れ目なくつながって奏でるソロはこの世のものとも思えないほど、絶品である。
第4楽章 こうしてベートーヴェンは、あらゆる音楽の方法を駆使して、歓喜へと突き進もうとするが、ついに終楽章の第4楽章に至るや、楽器だけでは「歓喜」は表現しきれないと思うに至る。
冒頭の部分は、第1楽章、第2楽章、第3楽章と今まで音楽で語ってきた部分のメロディーが、再び登場する。そのひとつひとつを、ベートーヴェンは、自分で否定していく。「歓喜とはそんなものではない」と。そして、「歓喜の歌」のテーマが、低音楽器であるチェロとコントラバスとによって厳かに奏される。
フルトヴェングラーは、このテーマをごくごく小さく演奏して、聴衆にみなぎる緊張感を感じさせている。だんだんと歓喜のテーマは美しく広がりをみせていくのだが、フルトヴェングラーは絶妙にテンポを小刻みに動かして、いやがおうにも、心のどきどき感をさらに印象づけている。
ところがそれだけで、ベートーヴェンは終わらない。もう一度、第4楽章の冒頭に戻ってしまう。交響曲史上で初めて人間自身の歌が登場することになるのだ。歌部分は全体には当時の流行作家だったフリードリッヒ・シラー(1759〜1805年・ドイツ)の詩「歓喜に寄せて」からとられているが、特に歌の最初の開始部分では、ベートーヴェン自身が書き加えている。「このような音楽ではない。もっと歓喜を歌おうではないか」と「歓喜!」と叫んでしまうのである。 人間の歌う「歌」とオーケストラの生の楽器とが一体となり、「10:02から10:51のフォル・ゴット(神の前に)」でのまさに絶叫に、フルトヴェングラーは異例の10秒という長い時間を費やしている。どこまでもずっと終わって欲しくない時間のように長く長く続くのである。
しまいには当時のオスマン・トルコ風の行進曲が登場したりして、まさに、お祭りとなる。今度は最初の「混沌」ではなく、まさに「歓喜」のカオスである。人間のヒューマニズムの勝利を歌い上げ、圧巻だ。すさまじいばかりのエネルギーがほとばしる。「歓喜」への勝利の歌が聴こえる。
フルトヴェングラーの圧倒的な指揮にオーケストラはよくついていっているが、最後のフィナーレ部分は、オーケストラは、もう崩壊寸前であり、少しも秩序だっていない。もうそこにあるのは、絶叫そのものなのだ、その圧倒的な開放感こそが、音楽の本質であり、聴き手には、たまらない魅力となって心に残るのである。人間をやっていて良かったと思える瞬間なのである。
フルトヴェングラーの「第九」を一言で語るならば、何かこの世のものとも思えぬ、天上の世界を垣間見るような一幅の続き絵画のような「第九」。「歓喜の歌」を堪能してほしい。何度聴きこんでも、フルトヴェングラーの変幻自在の棒により千変万化を遂げ、観客に向かってまさに押し寄せてくるようなテンポに、聴き手は魅了されてしまう。新たな発見があり、スリリングな体験をすると思われる。年末に聴くにはふさわしいと思う。
「バイロイトの第九」には、名盤について回る、「伝説」がある。ドイツのバイエルン放送に残されていた全く同じ日の演奏が封印を解かれ日の目をみ、オルフェオというドイツのCDレーベルからリリースされている。ところが、旧EMI(現ワーナーミュージック・ジャパン)の演奏とは、聴衆の入ったざわざわした感じがあるかないかなど、細かないろいろなところで違いがあり、どちらが本物なのか?という論争にまで発展している。
当日のソロを歌ったソプラノのシュヴァルツコップは、当日、本番前に、1度、通しの総練習があったということを明らかにしていて、旧EMI盤か、バイエルンの放送録音のどちらかが、総練習の折の録音のもので、どちらかが、本番の録音のものではないか?ともいわれている。
真相は闇の中だが、論争に発展するほどに、「バイロイトの第九」は神格化され、これまで聴き継がれてきたように思われる。今回のMQAによるハイレゾ版は、あたかもルネッサンスのイタリア絵画が、丁寧な修復によって、甦ったかのように、録音の余計なノイズ部分がきれいにとりはらわれ、音楽の部分だけが、流れるように見通しが良くなっている。ひずみの少ない克明なフルトヴェングラーの音楽が聴けるようになったという点で特筆できる。
文:野村和寿
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ベートーヴェン 交響曲第九番ニ短調 作品125「合唱」
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団
ソリスト エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、エリーザベト・ヘンゲン(アルト)、ハンス・ホップ(テノール)、オットー・エーデルマン(バス)/合唱:バイロイト祝祭合唱団
レコード会社 ワーナーミュージック・ジャパン
レーベル名 ワーナーミュージック・ジャパン
ハイレゾ提供 e-onkyo music
http://www.e-onkyo.com/music/album/wnr190295870645/
ファイル形式
MQA Studio 96kHz/24bit
¥2,200(税込価格)
◎実際の販売価格は変動することがあります。価格は税込価格(消費税10%)です。
■収録曲
トラック1
フルトヴェングラー登壇の足音と拍手、フルトヴェングラーの話す声 0:01:13
トラック2 第1楽章
アレグロ・マ・ノントロッポ、ウン・ポコ・マエストーゾ
(速く、しかしあまり速すぎないように、やや威厳をもって) 0:18:00
トラック3 第2楽章
モルト・ヴィバーチェ-プレスト-モルト・ヴィバーチェ
(とても速く-きわめて速く-とても速く)0:12:04
トラック4 第3楽章
アダージョ・モルト・エ・カンタービレ-アンダンテ・モデラート
(きわめてゆったりとそして歌うように-ほどよく歩くような速さで)0:19:41
トラック5 第4楽章
アレグロ・マ・ノン・トロッポ(速く、しかしあまり速すぎないように)-アレグロ・アッサイ(充分に速く)-アレグロ・アッサイ・ヴィバーチェ(充分に速く 活発に)-アラ・マルチア(行進曲)-アンダンテ・マエストーソ(威厳をもって歩くような速さで)-アレグロ・エネルジーコ(力強く速く)、センプレ・ベン・マルカート(いつも充分にアクセントをつけて)-アレグロ・マ・ノン・タント(速く、あまりはなはだしく速すぎないように)-ポコ・アダージョ(少しゆるやかに)-プレスティシモ(非常に急速に)0:25:13
執筆者紹介
雑誌編集者を長くつとめ、1975年にカール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演のブラームス交響曲第1番の最終楽章で、鳥肌が立ち、帰り道をさまよった経験を持つ。爾来、クラシックを生涯の友として過ごしてきた。編集者時代、クラシック以外のロックやジャズといったジャンルのアーティストと交流を深めるうちに、クラシックと、楽しさにおいて何も変わらないことに確信を持つ。以来、ジャンルを取り払ってハイレゾまで、未知なる音の発見の喜びを日々捜している。MQAを提唱しているイギリス・メリディアンには1991年以来2回オーディオ雑誌の取材で訪れ、基本コンセプトに魅せられた。またカメラ好きでもあり、特にドイツの光学製品に魅せられ、ライカのカメラ群とそのレンズの蒐集に執念を燃やしている。
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ベートーヴェン 交響曲全集
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プッチーニ
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マリア・カラス他