曲目解説 Part1

 

 第1曲から第4曲 メーリケ(1804-1875)歌曲集

 

1, 「春に」 

  

 

「わたしは春の丘に寝そべっている。流れゆく雲、飛ぶ鳥 それでも愛と風は、住処(すみか)を持たない。なんにでも憧れて、喜んで苦しんでもいた、わたし。過ぎ去ったいいつくせない思い出よ」とうたいます。

 

2,「妖精の歌」

 

 

ドイツの原題はエルフェンリート。日本のコミック作家・岡本倫の同名コミック・アニメ「エルフェンリート」の題名の由来にもなっています。小さくてかわいい妖精の子どもたちが、夜啼きウグイス(ナイチンゲール)

エドゥアルト・メーリケ  (1804−1875年・ドイツの詩人)  WikiCommons
エドゥアルト・メーリケ (1804−1875年・ドイツの詩人) WikiCommons

の鳴き声を聴いて、寝ぼけ眼で、空中から村の明るい小さな窓をのぞいたり、小人たちのにぎやかな食卓をみつけたりします。「クックー!クック−!」とユーモラスに、夜啼きうぐいすの声が聴こえてきます。

 

 

 

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本曲について、日本の音楽評論の第一人者であった吉田秀和(1913−2012)が、NHK・FM「名曲のたのしみ」(1971年9月19日放送)で解説した部分があります。引用してみます。

 

「ヴォルフの歌のなかではとても有名なので皆様がたもよくご存じだと思います。妖精はドイツ語で『エルフェ』っていうんですけど、エルフェというのは『エルフ=11時』という言葉と同じような発音で、言葉の洒落ですね。ひとつの言葉からふたつの意味をとっている。『11時になってあたりがすっかり静かになると、妖精が飛び出してくる』といったようなとっても軽い、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』のような夢幻的な雰囲気のある曲です」(吉田秀和著『名曲の楽しみ、吉田秀和』第2巻 指揮者を語る 2013年学研刊より引用)

 

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3,「さようなら」 

 

恋人に、「さようなら」といわれてしまったときの、寂しさや哀しさをうたっています。「今度は自分で自分に『さよなら』と語りかけてみるほどに、また苦しみが心を引き裂く。つらい気持ちは消えない」とうたいます。

 

4,「眠る幼児」

 

フランチェスコ・アルバーニ(イタリアの画家 1578−1660)の絵を見て

 

イタリア初期ルネッサンスの画家フランチェスコ・アルバーニが、描いた「眠るみどりごイエス」を観た詩人メーリケが詩にしました。その詩にさらにヴォルフが霊感をたくましくして曲を作っています。まだ今はつぼみのような幼児が、父なる神によって花となっていくイエスをたたえている曲。奇しくも幼児の載せられている木組みが、十字架の形をしており、将来のキリストの受難を暗示しているとされ、音楽でもその暗示が描かれています。

 

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本曲について、音楽評論家・吉田秀和(1913−2012)が、NHK・FMで解説した部分があります。引用してみます。

 

「これは『マリアの子ども、天の御子よ、御身は眠る』というひじょうに宗教的な、というよりもむしろ敬虔な、人間らしい感じのいっぱいある子守歌的なものですけど、ピアノは一種のコラールみたいな、とても荘重な音楽を奏でる。」

 

(吉田秀和NHK・FM「名曲の楽しみ」より (吉田秀和著『名曲の楽しみ、吉田秀和』第2巻 指揮者を語る 2013年学研刊より引用) 

 

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*第5曲から第10曲 ゲーテ(1749-1832)歌曲集より

 

 

5,「自然の現象」

 

「7色の虹が驟雨(しゅうう, 英: rain showers)となって降ったあとに、7色の虹のアーチが現れる。白い霧の中にかかっている虹は、白くみえる。だから老人よ、髪の毛は白くなっても愛にめぐりあえることだってあるのだ。老人の愛は、清らかでおだやかな愛なのだ」とうたいます。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ  (1749−1832年・ドイツの詩人・劇作家)  WikiCommons
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749−1832年・ドイツの詩人・劇作家) WikiCommons

 

 

6,お澄まし娘

 

「なんの悩みもなく、かわいらしい羊飼いの娘が野原を歌いながら歩いていたとさ。恋人に惚れこんでいる羊飼いのティルシスが、キスしてほしい。羊を2−3頭あげるから。娘はいたずらっぽい目でみるだけ。今度は、男がリボンをあげるからキスしてほしい。娘は笑いながら行ってしまう。3人目の男は、心を捧げるからキスしてほしいと、娘にいうが、娘はつれなく追い払うばかり。言い寄る男達には目もくれない娘」という曲です。

 

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本曲について、音楽評論家・吉田秀和(1913−2012)が、NHK・FMで解説した部分があります。引用してみます。吉田秀和は、この曲のタイトルを、「つれない娘」と翻訳していました。

 

「『つれない娘』というのは、その言葉のとおりで、『いろんな人たちが、彼女に求婚するけど、彼女はぜんぜん相手にしてなくて、いつも軽い心で、若々しくて美しく、晴れやかに野原を走っていくという一種の田園劇風なものです」吉田秀和著『名曲の楽しみ』第2巻 指揮者編 2013年学研刊より引用) 

 

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7,恋に目覚めた女

 

「心変わりした娘」ともタイトルされたりします。

前の6曲目に呼応していて、娘は笛を吹く男ダーモンと出会いますが、突然キスをされ、優しくて甘いキスに、娘は恋を知ってしまいます。娘の心の動揺を、娘が大人になった後で、懐かしそうにうたっています。

 

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本曲について、音楽評論家・吉田秀和(1913−2012)が、NHK・FMで解説した部分があります。引用してみます。吉田秀和は、この曲のタイトルを、「心のとけた娘」と翻訳していました。

 

「『心のとけた娘』というのは、『笛を吹いていた男に心を誘われて、つい接吻したら、安らかさが消えてしまっていつまでも恋にとらわれてしまった』という前のとは対照的な内容です。こちらのほうもしかし、田園劇風のスタイルで書かれている。あんまり深刻がらないで軽くすべき歌だと僕は思うんですけど、ピアノがフルトヴェングラー、歌がシュヴァルツコップ、ソプラノですね。脂がのったとってもいい声で歌っている」(吉田秀和著『名曲の楽しみ、吉田秀和』第2巻 指揮者を語る 2013年学研刊より引用) 

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8,アナクレオンの墓

 

恋、酒、人生の楽しみをうたい上げた古代ギリシャの詩人アナクレオンを、文豪ゲーテが詩にしています。「アナクレオンの墓の前には、いまも、春・夏・秋も、ばらが咲いて、ぶどうのつたが、月桂樹が、きじばとが、こおろぎが、喜びを楽しむ。寒さの迫り来る冬も、アナクレオンの墓を丘が守る」とうたいます。

 

9,花の挨拶

 

「何度もかがみ込んで、美しい花を摘み、きみのために花束を作った。あなたのことを想って、あなたに花束がわたると思うと、その花束を、あなたにあげる前に、なんどもなんども、ぼくの胸に押し当ててみた」とうたいます。

 

 

10,エピファニアス祭

 

ドイツ在住の友人によると、毎年1月6日は、南ドイツでは「公現祭(東方三博士の来訪記念日)と呼ぶクリスマスの終わりを告げるお祭りが、今でも祝われているそうです。クリスマスの歌。エピファニアスの祭「公現祭」とは幼子キリストの誕生を祝って東方の三博士がクリスマスから約2週間、あちこちにイエスを探して旅を続けた末に、キリストの元へと辿り着いた日で、1月6日とされています。冠をかぶり、賢者の格好をした子どもたちが、星の歌い手の世話人の大人とともに、家々をめぐり、喜捨を求めます。玄関先に、「キリストがこの家を祝福しますように」と、暗号のような文字を書いていくそうです。

 

現在のドイツでは、子どもが子どもを助けるための慈善活動としてひろまっているとのことでした。ヴォルフの曲は、各地を旅する「東方の三博士」のことを、おもしろおかしく歌ったもので、三博士の一人は、色白で男前、二人目は、淺黒で長身、三人目は黒くて小柄、三博士は心優しく幼児イエスを探して歩きとうとう、馬小屋にたどりつき、牛とろばが、ねそべっている間に、幼児をみつけるという・・・陽気で楽しい行進曲調です。

 

 

*第11曲から第14曲 イタリア歌曲集 

 

イタリアの作者不詳の詩を、ドイツ人パウル・ハイゼ(1830-1914 )がイタリア語からドイツ語に翻訳した詩に、ヴォルフが曲をつけた歌曲集。

 

イタリア歌曲集 第1部 第11曲 

 

11,待ち望む

 

「もうどれほどずっと待ち焦がれてきたことでしょう」

若い純な女性が待ち望んでいたバイオリン弾きの恋人。ハンサムで色白の若い音楽家が、わたしのもとに今にもやってくる!「これからバイオリンを弾いてくれるの」と、期待と不安をこめて女性の立場から祈るようにうたいます。

 

 

イタリア歌曲集第2部第16曲 

 

12,怒り

 

 相手の男性が、かっかと怒っている。なにをそんなに怒っているか女性にとってはわからない。そうならば、ナイフでも剣でも匕首でもいいから、ひと思いに刺して頂戴。流れ出る血で、女性の苦しみを洗い流して欲しい」とうたいます。非常に激しい感情をうたった曲です。

 

イタリア歌曲集第1番第12曲 

 

13,お若い方

 

 年増の女性が、若い男性にむかって、遊びの時だけ自分をかまうのはよくないと、心のひだをのぞかせます。「祭日には、きっともっと若い女性と面白おかしく過ごそうという魂胆なのね」と。最初は、若い男性を、たしなめるような、からかうような年増の女性は、だんだんと真剣な心のひだをみせはじめ、若い男性に対して、厳しい口調で、訴えかけています。

 

イタリア歌曲集第2部第3曲 

 

14,恋人

 

女性が「わたしをさそってくれる男なんてろくな男じゃない」と嘆く歌。「わたしの恋人が、わたしを食事に家にさそってくれた」とうたいます。でも、男性の家は、貧乏で、たきぎも満足になく、割れているお皿しかないし、グラスだってぜんぜんない。テーブルクロスもテーブルだって、ぼろぼろ。パンだって岩のように硬くなっている。うたっているうちに、だんだんと女性は自分の身の上がいやになってしまうのでした。(続きを読む)

 

『名曲のたのしみ、吉田秀和』 第2巻 指揮者を語る (吉田秀和著 2013年学研刊 税込み3,456円)
『名曲のたのしみ、吉田秀和』 第2巻 指揮者を語る (吉田秀和著 2013年学研刊 税込み3,456円)