<出演者アーチストの紹介>
マリア・カラス(1923−1977年)
パリでカラスが亡くなって、今年ですでに42年の歳月が流れているというのに、いまだに、20世紀最大の不世出オペラ歌手として君臨し続けています。カラスは、ギリシャ系アメリカ人として、ニューヨーク・ブルックリンに生まれました。人間の声による歌唱という芸術は、自分の肉体のコンディションを常に一定にキープしておく必要があり、カラスの声の全盛期は1950年代とされています。本録音は、MQAハイレゾ・リマスタリングによって、『トスカ』の本録音は、まさに、一番声のよく出ていた1953年のマリア・カラスの音楽を今に甦らせています。
1942年19歳のときに、アテネで『トスカ』でデビューし、1965年7月最後のオペラ舞台となったのも英国コヴェントガーデン王立歌劇場での『トスカ』の公演でした。カラスは生涯で都合55回『トスカ』を歌っています。奇しくも『トスカ』第2幕には、『歌に生き、愛に生き』(トラック19)という名アリアがあります。劇中のトスカは歌姫であり、「自分が神様のために、こんなにまで敬虔に神様への愛を貫いてきたのに、神様はなんという仕打ちをなさるのでしょう」と歌います。これが、実際のマリア・カラスの境遇と、オーバーラップして、涙なしには聴くことができない『トスカ』の中でも一番の名シーンとなっています。
『トスカ』の聴き所は、第1幕始まりから比較的すぐの「マリオ!マリオ!マリオ!」(トラック4)と叫びながらの登場シーンに始まります。本レコーディングで、音楽プロデューサーのウォルター・レッグによると「トスカの登場をそれらしくするために、『マリオ』の3つも呼び掛けを一つ一つ録音した」と語っています。
録音された1953年はまだステレオ録音は普及しておらず、モノラル録音でしたが、モノラル録音でさえも、マイクのセッティングを入念に行えば、音の距離感を出すことはできました。そこで、3つの「マリオ!」を舞台の袖で録音し、1回ずつマイクロフォンを近づけていって、後でつなぎ合わせたのです。(レッグ&シュヴァルツコップ回想録 レコードうら・おもて(河村銃一郎訳 音楽之友社1986年刊 絶版)より要約。
この「マリオ!マリオ!マリオ!」のシーン(トラック4)の劇的で張りのあるパワー、そして後に続くカヴァラドッシとの長い二重唱では、カラスのドラマチックな歌唱を存分に聴くことができます。キーワードはトスカのカヴァラドッシへ抱いた「女の嫉妬」です。愛していればこそ、恋人に激しく自分への愛を求める女性の姿をここまで劇的に演じきっているのはすごいの一語です。
つづく第2幕の悪漢スカルピア(バリトン)と敬虔なカトリック信者である女性トスカとの全編にわたる激しい対決。高まっていく感情表現、政治犯アンジェロッティの隠れ家をスカルピアに必要に尋問され、否定を続けるも、隣室から聞こえてくる恋人カヴァラドッシの拷問のうめき声に、とうとう、耐えきれなくなり、居場所を告白してしまいます。
ここまでのドラマの盛り上がりを、カラスのソプラノは凄みを増し、そして、限りなく高音へ伸びていく張りのある歌声は、聴く者を魅了してやみません。第3幕のカヴァラドッシとの再会(トラック24の途中)、カヴァラドッシが銃殺され、本当に死んでしまったときの、嘆き悲しみ、苦しみは、もう言葉にできないほど激しく、聴く者に胸に迫ってきて絶品です。
マリア・カラスは、1974年2度目の来日をはたし、ディ・ステファノとともに、7公演を行いましたが、札幌の公演が、カラス生涯でも最後の公演となりました。このときの1974年10月19日の公演は、NHKによって放送されましたが、その映像が、ワーナークラシックスから『マリア・カラス伝説の東京コンサート1974』としてブルーレイ・ディスクがリリースされています。マリア・カラス1977年9月16日パリで死去、享年53歳でした。
『クラシックレコードの百年史』(ノーマン・レブレヒト著 猪上杉子訳 2014年春秋社刊i)によると、クラシック・トップセラー・アーチストのランキングで、マリア・カラスは2007年現在で、3000万枚のセールスを記録していて、歴代第6位にランキングされています。
ジュゼッペ・ディ・ステファノ(1921−2008年)
1940から70年代にかけて活躍したイタリアのハンサムなテノール歌手で、マリア・カラスの相手役として共演する機会が多く、軽やかなテナーとして人気でした。後年は、カラスのパートナーとして公私ともに深い関係にありました。彼の妻マリア・ディ・ステファノが『わが敵マリア・カラス』(新書館刊・絶版)でその詳細を書いています。本『トスカ』での聴き所は、第1幕 テノールの独唱「妙なる調和」(トラック2)と延々と続くトスカとの愛の二重唱(トラック4)でディ・ステファノは、美しくきれいで、朗々とドラマチックな美声テナーを聴かせています。
第2幕の共和軍が反共和派をうち負かしたとの報をうけて「ヴィットリア!(勝利だ!)」と叫ぶパワフルな声(トラック17途中)、そして第3幕で、トスカを思って死地に赴く哀しさを歌った「星も光りぬ」(トラック24)の悲しくも哀れな身の上を嘆きつつ歌う深い悲しみのせつせつとした歌唱など、聴きものばかりです。
ティト・ゴッビ(1913−1984年)(バリトン)
イタリアのバリトン歌手で、プッチーニ歌劇『トスカ』の警視総監スカルピアは、憎々しい悪役を見事に演じ、スカルピアといえば、ゴッビの歌唱と演技といわれるようになりました。
マリア・カラスとは、公私ともに良き友人でした。幸運にも、マリア・カラスが『トスカ』を歌った映像が、1958年パリ・オペラ座デビューと、1964年ロンドン・コヴェントガーデン(共に第2幕のみ)でゴッビはスカルピア役でマリア・カラスと共演しています。ゴッビのにくにくしいスカルピアの演技を映像で確かめることができます。
ゴッビの『トスカ』での聴き所は、なんといってもその悪辣でにくにくしさがいっぱいの、脂ぎった迫力と権力者の悪の魅力に尽きると思います。第1幕後半の教会へ悪漢スカルピアが登場するシーン「教会でこのような馬鹿騒ぎとは」(トラック7)に始まり、バックで、厳かな神への音「テ・デウム」がながれるなかで、個人の野望をあくのつよい声で歌うシーン、また第2幕冒頭の「トスカは素晴らしい鷹だ!」(トラック11)から始まり、スカルピアが刺殺されるまでの、37分40秒間全てが、男性のバリトンという声質で、歌姫トスカとの対決のシーンであり、スカルピアの好色で悪辣さを、凄みを増して歌い上げています。
ゴッビは今でこそ悪名高いスカルピア役が当たり役となりましたが、本録音時は、音楽プロデューサー・ウォルター・レッグに「第1幕での彼の歌を満足な結果を得るまで30回も繰り替えさせた。─ 音節一つ一つに色調を変えて」と語らせています。
ヴィクトール・デ・サバータ(1892−1987年)指揮者
1929年イタリアの名門歌劇場ミラノ・スカラ座にデビュー、アメリカに亡命したアルトゥーロ・トスカニーニ(1867−1957年)の後任として、1930年から1953年までミラノ・スカラ座の音楽監督を務めました。
手兵であったミラノ・スカラ座管弦楽団を率いて、あるときは劇的なプッチーニのもつ激しさをどこまでも掘り下げ、あるときは、歌い手達に寄り添って、美しいメロディーを奏で続けるという、『トスカ』というオペラを知り尽くした指揮ぶりです。ひとことでいえば、解像力をドラマの方向へとピントを明確にさせた、鋭い統率力でオペラという途方もない大きなしろものにぶつかり、よくわかりやすく整理し、劇的なドラマを育てる職人肌の玄人受けする指揮者です。
英EMIの音楽プロデューサー ウォルター・レッグは、ヴェルディやプッチーニの主要オペラをすべて、サバータで録音することを計画していました。しかし、1953年最初のEMIとの録音プッチーニ『トスカ』の1本だけの録音が残されるという結果となってしまいました。本録音の直後に、サバータは心臓疾患で、突然引退してしまったのです。
『トスカ』の録音では、「第2幕のトスカのスカルピア刺殺直後のせりふ『この男の前でローマ中が震え上がっていたんだわ』(トラック21のラスト)のシーンで、トスカ役のマリア・カラスは、このシーンだけで30分間サバータにしごかれた」ということをレッグは後に語っています。また、「録音したテープでどこを使うかといったことについては、プロの芸術家である、レッグにすべてをまかせた」とも、サバータは語っていたとのことです。「私達は二人とも芸術家だ。私が加工以前の宝石を君に渡す。それをプッチーニと私の努力にふさわしい王冠に作り上げるのはすべて君(レッグ)の仕事だよ」。とても素敵な言葉です。
また、マリア・カラスは、『トスカ』を2度録音しています。本録音から12年後の1965年、改めてステレオで再録音しています。こちらは、スカルピアには、本録音と同じくティト・ゴッビが、また、カヴァラドッシには、ディ・ステファノに替わり、カルロ・ベルゴンツィが起用されています。オーケストラは、本録音が、ミラノ・スカラ座管弦楽団、二度目の1965年版ではパリ音楽院管弦楽団が担当しています。指揮は、本録音が、デ・サバータなのに対して1965年版では、ジョルジュ・プレートルがタクトを振っています。
eーonkyoでMQAハイレゾ版をダウンロードすることもできます。
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