<本録音について>
前回第15回の本稿で、歌姫エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ・1915−2006年)とその年の10月に結婚することになる英EMIプロデューサー ウォルター・レッグ(1906−1979年)のことに触れました。本録音が行われた1953年8月、ウォルター・レッグは、シュヴァルツコップのフルトヴェングラーとのザルツブルク音楽祭における「ヴォルフの特別演奏会」にはいなかったことを書きました。そのとき、同じ時期に、ウォルター・レッグは、イタリア・ミラノ・スカラ座にいたのです。
ウォルター・レッグが当時の音楽ファンに「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」というニックネームで歓迎されたのに対して、その年の10月に妻となるシュヴァルツコップは、レッグの「よき伴侶」という意味で、「ハー・マスターズ・ヴォイス」と、ほほえましいニックネームを与えられてもいました。
イタリア・ミラノ、中央の大聖堂ドゥオーモから、19世紀に作られた大ショッピングモール ガレリアを真っ直ぐに通ると、イタリアオペラの殿堂ミラノ・スカラ座の建物が聳えています。外見は思ったよりも質素な佇まいですが、いったん中に入ると、6階建ての豪壮で華麗ないわゆる桟敷席とよぶコンパートメントが上階の天井桟敷まで並ぶさまは圧巻です。
1953年8月10日 日本で言えば旧盆間近のミラノでも最も暑い時期に、世界的な歌手が一同に会しました。ミラノ・スカラ座は1778年の創立であり、アルトゥーロ・トスカニーニ(1921-29年音楽監督)、ヴィットリオ・デ・サバータ(1930-1953年音楽監督)の薫陶を受けたオーケストラ、ミラノ・スカラ座管弦楽団のメンバーも集合しました。オペラは、シーズンがあって、ミラノ・スカラ座では、9月の第1週にはじまり、翌年の6月まで続くのが常です。ヨーロッパのサッカー・シーズンと似ています。シーズン開幕前の大事な準備期間の時期に10日間も、当時レコード録音のためだけに、オペラ『トスカ』に最も適しているアーチストが集合したのです。
つまり、オペラといえば、音楽、歌、そして、衣装、美術というちょうど日本の歌舞伎とも似た総合芸術ですが、なかでも、音楽だけに特化した録音が行われようとしていました。
総帥は、「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」とニックネームをつけられた、英EMIの音楽プロデューサー、ウォルター・レッグでした。音楽プロデューサーは歌手のキャスティングからオーケストラや指揮者の起用と、レコーディングに関してありとあらゆる責任をもちます。この録音の行われた1953年、レッグは、マリア・カラスと専属契約を結びます。
1回目の録音は3月に行われたベッリーニのオペラ『清教徒』(Bellini: I puritani (1953 - Serafin) - Callas Remastered)であり、この録音もワーナー音源提供・e-onkyoのMQAハイレゾで聴くことができます。そして、英EMIとの2回目の録音が、今なお名盤の誉れ高い、本盤プッチーニのオペラ『トスカ』なのです。
カラスは、このとき30歳の若手ソプラノであり、体重105㎏とふくよかな体型だったいいます。それが約1年で55㎏まで急激なダイエットに成功しましたが、本録音のときは、まだふくよかだった頃で、声に張りとうるおいがオペラ『トスカ』を歌うのに充分でした。ダイエット後には、声質にも変化がみられて、絞り出すようなドラマチックな表現ながら、太い声というより、絞り出すようなソプラノに変貌しました。それは本録音の後のことです。
ではウォルター・レッグが若いマリア・カラスを英EMI(現在のワーナークラシック)にスカウトして、専属歌手としたのでしょうか?
シュヴァルツコップの著書『レッグ&シュヴァルツコップ回想録 レコードのうら・おもて』でレッグはマリア・カラスのことを語っています。『カラスは偉大なキャリアを築くための必要条件、聴いてこれとわかる、個性的な音色の持ち主だった。・・・(中略)・・・とにかくほとんど3オクターブに及んだ。基本的な特徴は豪華の一語であり、テクニックは驚嘆すべきものだった。実際、カラスは3つの声を持っていて、その3つとも、感情表現の必要に応じて、自由に色づけすることができた。高度のコロラトゥーラ技法、(筆者注 オペラで早い旋律の中に装飾を施して華やかにする技法)豊潤な声、輝かしい(そして必要とあらば深いかげりを帯びた)声、驚嘆すべき軽快な歌声、最もむずかしいフィオリトゥーラ(装飾旋律)でさえ、カラスが驚くべきたやすさでというか本当に楽々と歌いこなすことができない声域でも、音楽的にもテクニックの上でも問題なくやり遂げた彼女のクロマティック(筆者注 半音が連続する音階のこと)は特に下降の場合、実に美しくなめらかで、スタッカート(筆者注 音を短く切る)はこの上なくやりにくいインターヴァルがあっても傷一つなく正確であった。『レッグ&シュヴァルツコップ回想録 レコードのうらおもて』(河村錠一郎訳 1986年音楽之友社刊・絶版)より引用。
同じ1953年10月にレッグの伴侶となったエリーザベト・シュヴァルツコップは、それでは、レッグはなぜ、歌劇『トスカ』に起用しなかったのでしょうか?
ひとことでいえば、同じソプラノといっても、シュヴァルツコップは、かわいらしい声(ソプラノ・リリコ)と呼ばれる声質なのに対して、マリア・カラスは、ドラマティコ・アジリタ(ドラマチックでありながら超絶技巧・超高音域をもつソプラノ)であり、歌劇『トスカ』のタイトルロール・トスカに作曲者プッチーニが求めたのも、リリコ・ドラマティコ(叙情的でしかもドラマチック)とトスカの声質には、明らかに、マリア・カラスの声がぴったりでした。
ウォルター・レッグが当時の音楽ファンに「ヒズ・マスターズ・ヴォイス」というニックネームで歓迎されたのに対して、その年の10月に妻となったシュヴァルツコップは、レッグの「よき伴侶」という意味で、「ハー・マスターズ・ヴォイス」と、ほほえましいニックネームを与えられてもいました。
たとえば、本録音の1年後のエピソードですが、「カラスの声の揺れが目立つと(カラスが)悩んでいたとき、ミラノ・スカラ座近くのリストランテで、カラスはレッグ夫妻と食事をしたときのことです。カラスは最高音の歌い方をその場でフル・ヴォイスで歌ってみせました。カラスが、歌っているときに、レッグの妻シュヴァルツコップは、カラスの横隔膜や下あご、喉、それに肋骨を手で触ってみました。
数分の後、今度はシュヴァルツコップが同じく最高音をフル・ヴォイスで歌ってみせました。そのときに、カラスも同じように、シュヴァルツコップの横隔膜や下あご、肋骨をさわってみてどのようにして最高音の音域を安定して歌うことができるのかのコツを伝授した」
『レッグ&シュヴァルツコップ回想録 レコードのうら・おもて』(1986年 河村錠一郎訳 音楽之友社刊・絶版)より要約
というエピソードまでありました。同じリストランテにいた客たちは二人のディーヴァの期せずして行われた競演にさぞや度肝を抜かれたことでしょう。
既に高名なソプラノ歌手シュヴァルツコップは、新婚ほやほやの夫のために、まだ英国EMIの専属になったばかりのマリア・カラスのサポートまでしたのです。まさに内助の功といえるものだと思います。
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