文:野村和寿
地球と同じく太陽の周りを回っている惑星。西洋占星術をヒントにイギリスの作曲家ホルストは壮大なオーケストラ組曲を完成させた。組曲『惑星』のパースペクティブな音楽にひたりたい。
ホルスト 組曲『惑星』作品32
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、
ベルリン放送合唱団(女声合唱)
http://www.e-onkyo.com/music/album/wnr825646328475/
レコード会社 ワーナー・ミュージック・ジャパン
ファイル形式 MQA Studio 44.1kHz/24bit
2,515円(税込価格)
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ホルストの『惑星』といえば、ほぼ1970-80年代に青春時代を過ごした私のような音楽好きにとっては、驚きをもって迎えられる曲だった。実はその少し前、1969年にアポロ宇宙船の月面着陸を生中継でかたずをのんでテレビの放送にかじりついた世代である。NHKの科学分野の解説者 村野賢哉氏と、通訳であった西山千氏による月からの生放送だった。少年のうちでちょっと理科のできる者は科学系のロケット開発者を目指していた。少年たちがプロ野球選手を夢見るように。
音楽における、『惑星』への最初の驚きは1977年にシンセサイザーの冨田勲が発表したシンセサイザー版の組曲『惑星』。当時はまだアナログ・レコードの頃だったが、そのパースペクティブな音の広がりに、こんな素敵なクラシック音楽もこの世にあるのだろうか!と我々は感激をもって、アナログ・レコードプレーヤーの針を下ろしたものである。音の広がりが抜群なところから、「音場感」という言葉がオーディオ界で流行し、冨田勲の『惑星』は「音場感がよい」とよく試聴で使われたものだった。
そして今回、MQAでハイレゾとして登場したサー・サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の『惑星』の演奏である。私のような世代の者には、久々の『惑星』との再会だった。旧イギリスEMI(現ワーナー・クラシックス)によって、 2006年3月16〜18日に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーで録音された 本アルバムにはラトルの力が入っていて、組曲『惑星』の他にも、ラトルが委嘱した宇宙に関するオーケストラ曲が収録されている。
組曲『惑星』の冒頭1曲めの「火星 戦争をもたらす者」(演奏所要時間7分25秒)の、勇壮に一団となってやってくる、2つのスピーカーの真ん中で、あるいは、ヘッドホンで、いつもより、大音量に設定したとしてさえ、最初の音はものすごく小さく聴こえるはずである。しかしオーケストラのサウンドが、どんどんとクレッシェンド(だんだんと大きくなること)していく迫力に打ちのめされる。それはラヴェルの「ボレロ」を彷彿とさせるような、正面切って突破していく自信へとつながるすがすがしさである。
つづく2曲めが「金星 平和をもたらす者」(8分59秒)。いったい我々を音楽はどこに連れて行ってくれるだろう?と不思議になるほど、打って変わって静かなのである。なにも音のしない宇宙に放り出されたような、気持ちにさせられてくる。落ち着いたホルンや木管楽器の響きを重視した中にチェロが静かに分散和音を奏でるかと思うと、ソロ・ヴァイオリンが、チェロのソロが静かに優雅にメロディーを弾き出すところがいい。落ち着いて実にしみじみとしてくる。
3曲め「水星 翼のある使者」(4分2秒)は、溌剌とした小気味よさあふれる音楽である。ひとつのメロディーがぐるぐると輪になったように周回をし始める。
4曲め「木星 快楽をもたらす者」(8分2秒)は、ドラマの始まりの音楽のように、溌剌と気持ちの良い始まりを見せる。このメロディーは、たぶんどこかで耳にしたことがあるに違いない。途中から金管楽器トランペットが音頭をとりながら、軽やかな音楽へとスピード感が増していく。そして3分2秒から、あの懐かしくもあるメロディーが満を持して登場する。2003年日本のポップス・シンガー平原 綾香が歌ってヒットしたことで有名な「Jupiter(ジュピター)」である。このメロディーは印象的なだけにここだけを切り取っても、もちろん、すぐに耳に残るに違いない。ちなみに本曲は、イギリスの愛国歌とされ1993年のダイアナ元皇太子妃の葬儀でも演奏されている。5分25秒からは、この曲を締めくくるように曲の最初にもどり、素晴らしい大団円をみせる。
5曲め「土星 老いをもたらす者」(9分35秒)。印象的なイングリッシュ・ホルンや金管楽器群の中世の歌のような不気味な鳴りとともに静かな歩みをみせる。深々とした夜のしじまを思わせるような音の消え入り方が見事である。
6曲め「天王星 魔術師」(6分4秒)。コミカルな始まりに続き、イギリスの民謡のような異色なメロディーが続く。盛大な行進曲。ウォルト・ディズニー映画『ファンタジア』(1940年・アメリカ)に登場するデュカス(1865-1935年・仏)の「魔法使いの弟子」(1897年作曲)から影響を受けたと言われている。
7曲め「海王星 神秘主義者」(7分1秒)。ホルストの『惑星』はこの7曲めで終曲である。打って変わって静かな宇宙空間に投げ出されたようだ。もちろん空気の存在しない実際の宇宙空間は無音なわけだが、これを聴いているとまるで、「宇宙の音はきっとこんなだろうなあ」というような気持ちになってくる。4分10秒あたりから、天の歌声のように女声合唱(ソプラノ2部、アルトの計3部から成る)が登場する。歌詞はない。何処で終わったのか分からないように、聴く者は天国的な美しさに静かな時を迎える。
私は、1991年5月にイギリスのメリディアン社の工場の一角に設けられた試聴室でのオーディオ試聴を思い出した。CDプレーヤー「207 CD Player」とデジタル・アクティブスピーカー「D600」の試聴に、共同創業者の一人であり当時のメリディアン最高技術責任者(C.T.O.)で、現在はMQAのC.T.O.であるボブ・スチュアート氏が、サー・ネヴィル・マリナー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のホルスト『惑星』を選び出して試聴したのを覚えている。マリナーの録音も当時オーディオの試聴によく使われていた。
メリディアンの試聴ではボブ・スチュアート氏は『惑星』の何曲めをかけるのだろう?やはり勇壮な1曲めの「火星」?それともメロディアスな4曲めの「木星」?と想像していたときに、試聴室に鳴り出したのは、最後の7曲めの「海王星」のそれも「女声合唱の部分」だった。あのときの、試聴室に広がる、天にも昇るようなどこまでも軽さのある音楽は、イギリスの作曲家であるホルスト、そしてイギリスのオーディオ・メーカーであるメリディアンのピュアーな音そのものだったように思う。もっといえばイギリス人が追求してきた音楽だったようにそのとき初めて合点がいったものだ。
今、改めてこうしてイギリス人指揮者サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏するホルストの組曲『惑星』を聴く。『惑星』に、ラトルがどうしてこれほどまでに力を注いだのか? たぶんイギリス人であるラトルが、イギリス人作曲家グスターヴ・ホルストの組曲『惑星』をとことん追求していき、宇宙に関する音楽を集めて1枚のアルバムにしたかったのではないだろうか?
本アルバムには、ホルストの作曲当時は未発見だった「冥王星」の音楽を、イギリス人作曲家コリン・マシューズ(1946年〜)が作曲した音楽が8曲めに収録されているし、(「冥王星」に関しては後段に詳述する)、また、ラトルが現代に活躍する作曲家たちに委嘱した4曲の宇宙に関するオーケストラ作品が収録されているのである。
ベルリン・フィルの首席指揮者兼音楽監督を2002年から2018年にかけて務めているサー・サイモン・ラトルは、2017年秋からは、イギリスのロンドン交響楽団の音楽監督に就任した。ラトルのタクトで、ロンドン交響楽団とのコラボで、イギリス音楽が数多く聴ける日も近いのではないだろうか。(続きを読む)
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