ハイドンの評判は、当時音楽の先進都市だったロンドンやパリで高まっていた。『ハイドン復活』(中野博詞著 春秋社刊1995年)によれば、記述は時代がその10年程前のものだが、当時の文書には、パリのオーケストラ「コンセール・デ・ザマトゥール」には、40人のバイオリン、12人のチェロ、8人のコントラバスと、弦楽器だけで60人を超える大編成だったという記録も残っている。
今回取り上げる交響曲第88番「V字」と交響曲第89番は、エステルハージのオーケストラで第2バイオリン奏者から一足先にエステルハージ家を辞してパリへと赴いたヨハン・ペーター・トストからの依頼で1787年パリのオーケストラで演奏するために作曲されている。また第90番から第92番は1788年にフランスのドニィ伯爵の注文によって、「パリのコンセール・デ・ザマトゥール」の後継のオーケストラの1つ、「コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピック」のために作曲されている。ハイドンのパリでの評判は次第に高まっていたことがわかる。
また、ハイドンは1791から92年、1794−95年、興行主(プロモーター)ザロモンによって、ロンドンを訪れ、ロンドンで、後の交響曲第94番「驚愕」や、第100番『軍隊』、第103番『太鼓連打』、第104番『ロンドン』を作曲することになる。なぜ、パリからハイドンの舞台がロンドンに移ったかといえば、折から1789年にフランス革命が起きて、パリは音楽どころではなくなったと推測できる。最初に書いたロンドンのストリートに掲げられた銘板「1791年ハイドンここに住めり」は、このときハイドンがロンドンで最初に住んだ所だったのである。
パリと同様に、ロンドンでもすでに、クラシック音楽を楽しむ聴衆が既に育っていた。ロンドンにはハノーヴァー・スクエア・ルーム(1774年ホール建設、1900年解体)と呼ばれる800人が収容できるコンサート・ホールが既に稼働していて、興行師ザロモンは、ここで、ハイドンの予約演奏会を聴衆に募集し、オーケストラの人数・規模もパリと同様大きくて総勢40人からなるオーケストラの演奏会は常に聴衆で沸き返っていたという。
エステルハージ家の総勢25人のオーケストラから、ロンドンでは総勢40人という大規模なオーケストラを、ハイドンは自在に指揮することができるようになった。ハイドンからすれば、新たなる交響曲の音楽世界へ、気持ちは一気に盛り上がったと考えてもよいのではないだろうか?
そんなわけで、なぜ、サー・サイモン・ラトル=ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、ハイドンのなかで、交響曲第88番から第92番と取り上げたのか? 私の類推は、ちょうど第88番から第92番が、ハイドンの過渡期といわれるハイドンのエステルハージ家の経験のエッセンスとパリやロンドンへのハイドンの発展とがすべてつまった連作交響曲だったからではないだろうか?
ハイドンの交響曲には、面白いと思われることがいっぱい詰まっている。
たとえば、第88番の第3楽章には、ムゼッタ・ドローンというフランスのバグ・パイプを模した音楽をビオラとファゴットに演じさせていたり、第89番の第4楽章には、リラ・オルガニザータ(当時出始めた機械仕掛けのバイオリンの一種)のためにハイドンが作曲した曲が転用されている。(「2本のリラのための音楽」1786年ナポリ王の委嘱で作曲された)。
極めつけは、第90番の第4楽章。なんとフィナーレが3回もやってくる。つまり「落ち」を言ってしまうと、一度交響曲が大団円を迎える、つまり終わるとみせかけておいて、それは、実は終わりではなくて、また始まる。しかもこれを繰り返すので、実に3度も終わりがある。楽譜(スコア)には「フィーネ・ラウス・デオ」と曲の最終部分にあり、調べてみると「神の栄光ここにあり」とあり、さらには「ありがたや」と、ちょっと皮肉ったことが書かれている。ディナーの時にこの演奏を聴いていた貴族たちは、このパフォーマンスに思わずびっくりしたに違いない。
いいことに、本トラックでは、拍手入りバージョンと(トラック12)、拍手なしバージョン(トラック13)が用意されている。サー・サイモン・ラトルはCDのライナーノーツで「作曲されて200年も経つのに、その『落ち』に多くの聴衆に思わず『くすっとさせる』素敵な曲はなかなか他にはありません」とコメントを寄せている。
最後に22から24トラックには、1792年にロンドンで作曲され、ロンドンの聴衆に喝采をあびた『協奏交響曲』が収録されている。バイオリンとオーボエ、チェロとファゴットのための協奏交響曲である。珍しい木管楽器と弦楽器との組み合わせだが、バイオリンとチェロ、オーボエとファゴットが、それぞれとびきりの名人芸でもって丁々発止の掛け合いをみせる。あるときは弦楽器がソロをとり、あるときは木管楽器がソロをとる。まるで現代のジャズ・コンボのようだ。4つの楽器が4つの音色で交錯し、好対照をみせることでわくわく感が増してくる。
なぜ、ヨーロッパ、わけても、ロンドンやパリでは、現在でも、そんなにハイドンが好きなのだろうか? それは、結論を先にいえば、「何も邪魔しない音楽的な工夫」と、「思わずにやっとしてしまうほのかなウィットに富んだ音楽の喜びこそがハイドンの交響曲にあるのだ」と思われる。
19世紀後半、古典音楽の伝統を大事にしたロマン派の作曲家ブラームスも、ハイドンの第88番が好きだったことが知られている。「自分の交響曲第9番を作曲する暁には、是非、第88番の第2楽章「ラルゴ(幅広くゆるやかに)」のような音楽を作曲してみたい」と語っている。もちろん、ブラームス自体は、交響曲第4番を作曲したところで、一生を終えたのだが。
そこで、もしも「クラシックのなかでどの曲が好きかい?」と友人から問われた際、「ぼくは、ちょっとだけ変わっていると思われるかもしれないけれど、ハイドン、それも第88番から第92番の交響曲」と応えたら、あなたは、もうかなりのクラシック通である。本作品は、SACDのハイレゾ盤で2013年リリースされたとき4541円だった。それがMQAのハイレゾではお買い得な2571円(2018年1月現在)でダウンロードできるようになった。 (各曲の紹介へ続く)
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参考資料 『サー・サイモン・ラトル=ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ハイドン:交響曲第88番から92番』ライナー・ノート(リチャード・ウィグモア記2007年)、『ハイドン復活』(中野博嗣著 1995年春秋社)、『ハイドン交響曲』(中野博詞著 2002年春秋社)、『フィルハーモニア版ハイドン・スコア ボリュームX 交響曲第88版から第92番+コンチェルタンテ 1981年』、『2012年度定期演奏会演奏回数ランキング』(日本オーケストラ連盟)、bachtrack.com