文:野村和寿
アーチスト:アニタ・ベイカー
ジャンル:R&Bソウル・ブラックコンテンポラリー
音源:ワーナーミュージック・ジャパン
アナログ・テープを基にした2015年192kHz/24bitマスターを176.4kHz/24bitに変換しMQA-CD化したものです。
2,800円+税(生産限定盤)
◎実際の販売価格は変動することがあります。
収録曲
1.Sweet Love
スウィート・ラヴ 4:26
2.You Bring Me Joy
ユー・ブリング・ミー・ジョイ 04:24
3.Caught Up In The Rapture
コート・アップ・イン・ザ・ラプチュアー 05:17
4.Been So Long
ビーン・ソー・ロング 05:13
5.Mystery
ミステリー 04:57
6.No One In The World
ノー・ワン・イン・ザ・ワールド 04:07
7.Same Ole Love
セイム・オール・ラヴ 04:05
8.Watch Your Step
ウォッチ・ユア・ステップ 04:54
マスタリング:ワーナー・エレクトラ・アトランティック・スタジオ
スコット・レヴィティン カリフォルニア州バーバンク
Mastered by Scott Levitin, Warner Electra Arkantic Studio,Burbank,California
発表:’86年 Executive Producer : ANITA BAKER
’86年アルバム・リリースされたアニタ・ベイカーの『ラプチュアー』は、よくFM放送から流れていた音楽でした。一日の仕事が一段落する夕方近くになると、車の中から流れてきたのを覚えています。FMが普及する前は、在日アメリカ軍のFEN(’97年にAFNと改称)が、ノンストップで音楽を流していて、早い物好きの音楽ファンはこぞってFENの早口のDJの放送を聴いていました。 ’80年代後半は、東京近県のFM放送が本格的に多局化された頃でした。音楽ファンはFENに替わり、FM放送から流れてくる音楽から新しい曲探しをしたものです。横浜を中心とする横浜FMが、’85年の開局、東京を中心とするJ-Waveが放送電波を流し始めたのが、’88年のこと、すでに、放送を開始していたNHK-FMや、FM東京をはじめ、FM局が多局化して、「まるでアメリカみたいだ!」と喜んだのを思い出します。
夕方から夜になりかけの頃、 高速道路上で、車窓から東京タワーがみえてくると、 車で流れる音楽は、ひとときの憩いというにとどまらず、夜を迎えるなにか、これからを期待させるようなリラックスさせるわくわく感に満ちていました。 FMから流れてくるアニタ・ベイカーは、ゴージャスで熟した丸みのある甘いメロウなアメリカナイズされたミュージックなのでした。
この音楽はブラックコンテンポラリー(略してブラコン)と呼ばれる音楽ジャンルに属しています。バックのミュージシャンは、ジャズ・フュージョン界を代表する面々であり、ドラムスのリム・ショット(ドラムスのふちをたたく奏法)の切れのよさや、小気味のよいベース、ギターが、どこまでも大袈裟になることなく、静かに、それでいて、確実に時を刻むかのような迫力を感じる音楽を作り出していました。 それは、一時的に流行した打ち込みだけのシンセサイザーに飽きたリスナーにとって「クワイエット・ストーム」と呼ばれるミュージックでした。
「クワイエット・ストーム」は、本物のミュージシャンたちによるリアルなジャズ・フュージョンの香りと、アニタのソウルフルな力強いボーカルが、ソフトに加味された音楽でした。
アニタのボーカルを支えているのは、当時最高のフュージョンを聴かせてくれたクインシー・ジョーンズ(アメリカ音楽界の重鎮、名音楽プロデューサー、アレンジャー)率いるメンバーたちが主たる面々でした。キイボードのグレッグ・フィリンゲインズ、ドラムスのジョン・ロビンソンがそうです。また’80年代にアメリカのジャズ・フュージョンをリードしたイエロー・ジャケッツというフュージョン・グループのドラムス・リッキー・ローソンや、ベース・ジミー・ハスリップもこのアルバムに参加しているという豪華さなのです。
そのバッキングを従えるように、中央に、アニター・ベイカー(当時24歳)のボーカルが、リズム感のよい流れるようなスモーキー・ボーカルを聴かせるのです。スモーキー・ボーカルとは、翻訳すると「霧がかかったようなこもった、くすんだ声」ということになります。つまり、気だるくて、それでいて、どこかぬくもりが感じられる声なのです。
これはFM放送にとどまらず、当時のハイエンド・オーディオでも、大いに聴かれた音楽ソースでもありました。前回、ジョニ・ミッチェルの回で、お話しした、「音の実在感」から一歩進んだ段階で、「音場感」と呼ばれる言葉で表されていました。
それは、左右のスピーカーから直接出る音を、ダイレクトに耳を傾けるのではなく、セッティングされた2つのスピーカーの間にできる、音の壁に、ぽっかりと、「音のイリュージョン(幻想、幻影)」が浮かび上がり、まさに、「ハイファイの行き着いた所」、といった意味です。音場 つまり、音の発せられる、左右のどこから音が登場するかだけでなく、左右のほかに音の高さをも加味された「音の三次元空間」が、ここでいわれた音場感というコンセプトで、このコンセプトは今でも続いているオーディオの重要なコンセプトなのです。
ここで、1曲めの「スウィート・ラヴ」を例にとると、キイボード、ベース、ギター、ドラムス、パーカッション、バックグラウンド・ボーカルという構成です。前奏に、キイボードとベースの間を取り持つように、ドラムスがわずか20秒間に小気味好く割って入り、この曲の雰囲気を盛り上げる。そのゴージャス感といったら、たまらなくかっこういいのです。そこに、アニタ・ベイカーのスモーキーで力強いボーカルが、ドラムスのリム・ショット(ドラムスのふちをたたく奏法)とともに登場し、「心から愛しているわ・・・」「あなたのハートが呼んでいる」と愛の歌をうたいだす・・・。この始まりは絶妙です。やがて、バックの音楽に、ゆっくりと、コーラスも加わり、ゴージャスさはさらに増していきます。アニタの歌唱のうまさと相まって、甘く切ないボーカルが、音の広がり感の中で聴けるのです。
5曲めの「ミステリー」は、もともと、ジャズ・コーラス・グループ マンハッタントランスファーの曲です。キイボード、ベース、ギター、ドラムス、パーカッション、フィンガー・スナップス(指を鳴らす)、バックグラウンド・ボーカルとなっています。
最初のドラムスのリム・ショットに誘なわれるように、今度はベースが小気味好いリズムを刻みだします。ベースだけに注目して聴いてさえも、そののりが伝わってくるようです。コーラスが入ってきて、さびの部分をアニタはコーラスとともにでうたい上げていきます。
だんだんとアニタのボーカルが全面に出てきて、バックは少し引っ込む、アニタが一節うたうと、今度は、バックも盛り上がっていきます。ここは音楽プロデューサーと音楽ミキサーの腕の見せ所です。つまり、アニタのボーカル、バックのミュージシャンたちのすごいフュージョン・ミュージック、とくに、ドラムス、エレキ・ベースとコーラス、それにキイボードのバランスが微妙に「音の壁」上に消えては登場、消えては登場をくりかえして、音のフォーカスがズームレンズのように変化し、全体としてゴージャスな感じを醸し出すのです。
アニタ・ベイカーの「ラプチュアー」を皮切りに、レコードやCDで聴く音楽の方が、ライブ・パフォーマンスにも増して、凝った音創りが聴こえてくるようになりました。ライブは、むしろ、レコードやCDで聴けた音楽を、目の前のアーチスト・パフォーマンスで、その音楽の模様を確認するという風情になってきたのです。つまり、それほど、アニタ・ベイカーのディスクの登場は衝撃的だったのです。
このアルバム『ラプチュアー』は、音楽界のアカデミー賞とも呼ばれるグラミー賞(’87年最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス、トラック1の「スウィート・ラヴ」が最優秀R&Bソング)を受賞したばかりか、100万枚以上売れたプラチナ・ディスクにもなっています。今聴いてもまったく色あせないばかりか、むしろ、オーディオの機器の発達とMQAによるハイレゾによって、もちろん、車のなかでも、ヘッドホンでもとても気持ちよいのですが、ここは本格オーディオで聴いてみることで、そのイリュージョンの音楽シャワーにどっぷりと浴びられると思います。アニタ・ベイカーとバッキング・サウンドの真価は、ハイレゾの今だからこそ発揮するといってよい永遠のゴージャスなアルバムなのです。
文:野村和寿
好評連載中!
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アーチスト:Anita Baker(アニタ・ベイカー)
ワーナーミュージック・ジャパン
販売:e-onkyo music
https://www.e-onkyo.com/music/album/wrn30906/
ファイル形式
MQA Studio 192kHz/24bit
2,619円(税込価格)
※ 収録曲は、MQA-CDと同一です。実際の価格は変動することがあります。
執筆者紹介
’78年FMレコパル編集部に参画して以来、約20年にわたりFMレコパル、サウンドレコパルと、オーディオと音楽の雑誌編集者を長く務める。誌上では、オーディオのページを担当するかたわら、新譜ディスク紹介のページを長く担当した。海外のオーディオ・メーカーの取材の際、宿に戻り遠く離れた土地で日本のボーカルを聴いてジーンときたという体験をし、ボーカルがいかにオーディオに人の心にダイレクトに響くかに開眼した経験をもつ。
ポップスやロック、ジャズ、クラシックといった多方面のアーチストと交流を深めるうちに、音楽はジャンルではなく、その楽しさにおいては、なんら変わらないことに確信を持つ。ハイレゾの今日に至るも、ますます、お薦めボーカルをジャンルを取り払って探していきたいと思っている。
好評連載中の『MQAで聴くクラシックの名盤』はすでに連載が17回を数えている。
第1回 ナナ・ムスクーリ〜ベスト・セレクション(MQA-CD)
「眼鏡美人の歌姫」といえば、ナナ・ムスクーリが挙げられると思います。ナナ・ムスクーリの歌声は、まさに「天使の歌声」と活躍した当時いわれたボーカルです。ちょっと細身で、よく女声特有の、高音が、きんきんと響かせるすることがなくて、美しく清らかで、どこまでいっても、しみじみと、実に清楚に人生を(続きを読む)
「バルバラ(’30−’97年)は、ピアノ弾き語りの自作自演のフランスのシャンソン歌手です。バルバラの名前はずっと昔に、ステレオサウンド誌で、著名なオーディオ評論家・故瀬川冬樹氏(’35−’81年)が、ご活躍されていた’70年代後半に、よくバルバラのアナログ盤を試聴に使っていらしたのを思い出します。(続きを読む)
第3回 ダイアナ・ロス エッセンシャル・ベスト(MQA-CD)
ダイアナ・ロスの豪華なベスト盤が、MQA-CDで聴けるようになりました。1曲(1曲だけ’08年リリース)をのぞいて、’71ー’81年にリリースされた楽曲からピックアップされたベスト盤です。CDが登場したのは、’82年のことなので、最初のリリースは、アナログ盤でリリースされていたナンバーです。’80年当時(続きを読む)
第4回 コニー・フランシス ベスト・セレクション(MQA-CD)
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ベレー帽を小粋にかぶり、伏し目がちに極端に短くなったシガーを口にくわえた女性が、リッキーその人です(当時 24 歳)。このジャケットを撮影したのは、高名な写真家ノーマン・シーフ(アップルの創業者スティーヴ・ジョブズのフォトで有名です)。私がリッキーのアルバムと最初に出会ったのは、いったいいつ頃 (続きを読む)
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